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久々の更新

更新が滞ってしまい2016年2月ですね。

2015年9月から、私は人生において誰にも打ち明けずにいたことがあります。

極論、本当に自分は生きていて良いのか...。

いきなりって思うでしょうが、そんな心境を昨年12月まで抱えていました。

まず主人の父親(私にとっては義父)を末期がんで闘病中だったのですが、9月の義父の誕生日後から義父から電話があって様子がおかしかったのです。
それで、埼玉県で水害が起きる前に義父は通院している病院に入院をしたいと申し出たのです。

それから義父は入院して、その後、1ヶ月後に他界しました。

大阪と埼玉の往復をしつつ、精神科・心療内科の個人の診療所の医療事務をしていたのですが、10月半ばに解雇されました。

解雇される予兆は9月半ばからあって、院長から『新しい人が来るから、2着白衣を貸してるけど、1着、貸してな。』と。
それに続くかのように総括に大掃除の予定があっても、教えると言いつつも教えてくれなかったこと。

ロッカー等の名札が勝手に変えられていたこと。

トドメは、あたしと新しい人とは絶対に顔を合わさないうようにとシフトを組まされていたという事に気づいてしまったこと。

でも、先輩方は心配してはいましたが院長には意見できず...3ヶ月先に入っていた先輩が精神科・心療内科は初めてでも、眼科と歯科で医療事務10年という素晴らしい経歴もありましたし、新しい人は大ベテランの50代女性と最近知るという…自分らしい現実をしっかり確認した出来事が起きたとはいえ、過去の事であり、その方々のように長く仕事として頑張るだけではなく、他にも知る事が出てくるので前進あるのみですね。

あたしの医療事務の実務経験が1~2年程度であり、先輩方は6年以上であったのも原因ですが、9月から10月に入り、院長はあたしへの粗捜しして難癖に暴言と不快な事がたくさんになっていきました。
パワハラだろうがとにかく退職に追い込もうっていう魂胆が見え見えだったので、辛くてもトコトン耐えました。

そんな中、義父が重篤なのもあって仕事の事も変わらなくてはと思って「今の診療所の仕事は続かないかもしれない」とだけ主人には打ち明けました。
「仕事が続かないかもしれないって、どうして言うの。」って主人に尋ねられましたが、理由など言えませんでした。

余計な心配をかけまいっていうのと、自分から退職を申し出るよりも(辛くて情けなくて悔しいけれども)解雇へ持ち込めばいい...って。

10月20日になる前に解雇を院長から告げられました。
成長の見込みがないと言われ、精神病名をいくつか列挙して疑われたので正式に診察をと願ったものの専門外と言われ(なんちゅう人や。)と思ったけれど胸に収めました。

院長は「制服と鍵を返して下さい。」とのことだったからササッと着替えて全部モノは返して『今ままでありがとうございました~。』と、あたしは解雇を告げられて5分も経たない内に笑顔で出ていきました。

長期の予定でも3ヶ月で仕事を辞める、しかも、解雇自体も初めての経験でした。

院長は色々言っても、つまり、合わない・気に入らなかった...と。いうのが理由。

帰宅して主人にはアッサリ『解雇された~』って打ち明けて、理由もシンプルに『合わないんだって。』と話したら、主人は淡々と「ヒドイな、それ。」...ま。予想通りの返答でした。

翌日に実家の両親には解雇されたと報告、驚かれましたね。
「シフト通りに自転車で20分も走らせて頑張ってたのに。あ!!解雇されたの初めてやんなぁ。(理由も詳細に報告)なにそれ~理由にならんやないの。ヒドイ話やなぁ。」と。

そして「それに埼玉のこと(義父の葬儀・四十九日・遺品整理等。主人の親戚関連もあり)があるから。解雇されたことで今回は落ち込む必要はないし、ピッタシな医療や介護に関係する仕事あるって。」等と叱咤激励を受けてから、あたしは...どうかなと思ったけど、やりましたよ。

【先輩方々には本当にお世話になったから菓子折りを持って感謝の気持ちを伝えなくては】と決意して、実行しました。
どう思われようが関係ない、教わった事が多いのは事実で先輩方が驚こうが関係ないし、感謝を伝えた途端に、気持ちもスッキリしました。

翌々日には義妹に話したらビックリされつつ、楽しく会話しました。(が、後に彼女は「そんなので解雇はヒドイ~~!!」ってなってましたけども。)

解雇されて傷心に自信喪失だとしても(違う仕事)と言い聞かせて、鑑定仕事は次々とあるので心を落ち着かせてとはいえ、気持ちがスッキリとしたとはいえ、色々ありすぎて、特に医療や介護関連の仕事もするぞという決意は解雇されたショックに挫折感も強くて昨年12月までビクビクしてました。

なんせ、そんな経験は初めてで家族や友人や仕事で関わっている人々の驚きとショック、あたし自身ショックが強かったのですから。
ですが、感謝の気持ちを伝えて、色んな事に追われて、時間が経過するにつれて吹っ切れていくもんで、年末年始には『ホンマ、新しいコトせなね。』となってましたね。

年末にたまたま開院33年の近所の眼科で医療事務と診療助手の求人が入口にあって、年末で忙しいから2016年入ってあったら応募しようと思っていたら、2016年1月の求人誌に求人があったので応募して、(現在は毎週土曜日のシフトですが)頑張り始めとなりました。

私が一時お世話になった医師は10年前に他界、姉・弟・妹(御三方は眼科医です。)と40年以上頑張っている先輩方(姉妹で診療助手と医療事務。他の医院での勤務経験もありの方です、はい。)という家族での医院なんですね。

紙カルテにレセコンがあっても仕様が違う上に、眼科の医療事務も診療助手も初めてなのもあって覚える事が多いけれども、とても勉強になります。

冷静になって昨年のスケジュール帳をみると、絶望に失望に挫折感に怒りにと思いっ切り記述しつつも、乗り越える・頑張れる・教訓もあるはずっていう記述もあって。
当時はショックが大きすぎたんだろうが、今となれば、学んだ事が多かったのではないだろうか...と。

これからもマイペースに前に進んでいきますよ